日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
父の伝道の働きを支えたのは母である。母は明治45年1月5日長野県に生まれ、昭和2年12月24日 上諏訪ホーリネス教会で高橋俊三先生(写真 31)より洗礼を受け、後に「きよめ」の恵みにもあずかった(高橋俊三先生は翌年3月シンガポールへ開拓伝道に行かれた。弾圧の時に殉教)。
14歳の時、叔母に山田はまの姉の家庭集会に導かれた。山田はまの姉はセキズイカリエスを病んでおられたが、明るく信仰の篤い方で、英語の教師として再起する日を望みつつ、熱心に伝道されたキリストの証人である。
家庭集会で初めて聖書のお話を聞いた時、「この神様は福田先生の話して下さった神様だ」と気付いたそうである。母がまだマゲを結い、ゲタをはき、御高祖頭巾をかぶって雪の日に小学校へ通った時代に、担任の福田先生は袴に毎日革靴をはいてこられた。
「校長先生はお式の時だけ革靴をはくけれど、私達の福田先生は毎日はいておられる」
と生徒たちには憧れと自慢の先生であった。
先生は昼食の時間、食前に必ずお祈りをされ、生徒がお弁当を食べている間「神様のはなし」をして下さったという。福田先生によってまかれた福音の種が、家庭集会によって育てられていった。
母は「己に死んで主に仕える」信仰であった。母もまた「祈りの人」である。両親は「不平を言わない。感謝する。祈る。」という共通の信仰の姿勢を貫いている。
生後6ヶ月で台湾に渡った姉も、すでに70代に入った。1996年、姉は夫とともに、あの花蓮港聖教会を訪れた。懐かしい裏庭の井戸、父の書斎、何もかもが残っていた。この家に住んでおられる方が、「ここは一週間後に取り壊されます。」と教えて下さった(写真 41)。
姉は父に詳しく報告し、小学校近くの花岡山公園、花蓮港飛行場など往時を懐かしく語り合った。
2000年8月谷口和男牧師は、取り壊され駐車場となった教会の跡地を写真に収めた(写真 42)。台湾花蓮港聖教会は完全にその歴史を閉じた。この年の10月、小池章三牧師も、その65年の伝道の歴史を閉じた。召されたその時の表情は、満面の笑顔であった。遺体を安置した部屋は不思議と花の香りがあり、葬儀・告別式には600名を超える列席者があった。
戦後64年を経た今。大木へと成長したあの生垣の木は、これからもここに繰り広げられていく人間の歴史を静かに見守り続けていくのだろう。小出忍著『ホーリネスの群と教団の軌跡』に収録された写真には、私の父の膝元に幼いころの和牧師が写っている。信仰のバトンは確かに渡された。主の恵みによってさらに前進することを祈って筆を置くことにする。