日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
授与式は大変友好的であった。式の後、お祝いの昼食会が開かれ、中華料理をいただいた。円形テーブルで私の隣に座られたのは神学博士号を授与された牧師先生の夫人であった。現在、かつての蕃社で伝道されている。日本語で次のように話しかけて下さった。
「父は私が3歳の時、日本人に兵隊にとられ、そのまま帰って来ませんでした。家は日本人に焼かれ、壊されました。仕事もなく、道具もなく、自分達の手で木を倒し、荒れ地を耕し、とても苦労しました。」
穏やかな、温かい表情で、やさしい声の方だった。そして両手の平を見せて下さった。今もその手を忘れることができない。年齢より5倍は老けて見える手であった。それが全てを物語っていると思った。
私の両親はキリスト教の伝道者として、誰をも分けへだてせず、悔いの残らない生活をしてきた。弾圧の中でも救いの手を差し伸べて下さった軍関係者、警察署長、元警視、その他多くの方々がいた反面、M刑務課長が、内地にも見られないような家財没収、教会からの強制退去、就職の妨害、を行ったことを思うとき、この牧師夫人の言うことを無視することはできなかった。
同じ日本人に対してさえあのようにしたのだから、植民地の人々にはもっと厳しかったであろうと思った。私は台湾人を苦しめた日本人の一人として「大変なお苦しみを負わせて申し訳ありませんでした。」と謝罪した。
夫人は優しく「これからは文通しましょう」と 美しい漢字で住所、氏名を書いて下さった。私も同様にした。クリスマスカードを送ったが返事は届かなかった。夫である牧師先生の目は怒りに満ち、無言で、厳しい表情を崩すことはなかった。これもまた現実である。植民地政策の傷跡もしっかり残っていた。