日本統治下における台湾キリスト教伝道

カイザルのものはカイザルに、神のものは神に

美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
昭和11年11月22日 洗礼記念
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.

<戦時中のこと:手記>

 1944年(昭和19年)7月25日、召集令状が来る。
 7月30日、第十方面軍66師団1789加藤部隊、工兵隊に入隊しました。「第二国民兵」でありました。(写真 25

 台東市の小学校が第一宿舎。一ヶ月経過の花蓮市外地南地区に移動。昭和20年2月18日の晩移動するまで工兵独特の訓練が続きました。
 台湾に米軍が上陸して来た時に、ヒットラーの戦術と言われるフトン爆雷を背に付け、敵の戦車の下にもぐりこんで自爆する戦車攻撃の訓練をしておりました。この訓練中、地に伏せるとき、腰に付けておる「弾嚢」を払いそこね、肋骨挫傷。35日の入院となりました。 (<お見舞いの思い出:回想>

 入院中に、三少隊第5分隊に配属されました。
移動の晩、五分隊の私は、小さな声で「小池、小池」と呼び出されました。アミ族蕃人(アミ族の蕃人は平地に住んでおり、内地人婦人と結婚しておる者もありました。私は分かりませんが私が路傍伝道などしており、彼の方で知っておったのでしょう。)「班長が殴ると云っておるから気をつけろ」と親切な言葉を残して暗の中に消えました。

 ・・・この時、同年兵の一人がマラリヤの黒水病になり花蓮港病院に入院。何名かのO型の兵士が輸血のため、山から病院に通い生命が助かり、退院帰隊いたし舎内に在って軽い仕事をしましたが血液型が変わったと話しておりましたが、輸血は有難い事である事をまざまざと知ることができました。

 12月31日。部隊の遺言、遺髪の整理に副官(中尉)と佐伯伍長に伴われ小学校へ一泊。翌朝、米艦からグラマン機の襲撃をうけました。晩に「家族に会ってこい」と返してくださいました。遺言、遺髪の整理をした時でありました。

 美都子さん(次女)の誕生日(2月18日)、花蓮港の田舎、地南を夜分、教会のそば、上甲商店の前を行軍。昼はグラマンの攻撃があります故、夜分の行軍となり、22里の臨海道路を踏破して宜蘭までの長い長い行軍となりました。 (<疎開の思い出:回想>

 不思議と常に将校のそばにおり、この時夜間病人を連れて宿につきました。ドンチャン騒ぎの兵士。女中さんに「病人を連れておるので静かにしてくれませんか。」と将校が頼みますと、「兵隊さん。あの方々は明日沖縄に飛ぶ方。許してやって下さい。」と言われ、特攻隊の方であることがわかりました。夜中の2時頃 眠りからさめますと静かでありました。沖縄の沖で戦死されたことでありましょう。

<少年特攻隊員:手記>

 何かの用件で高尾の駅長さんのお宅におりました時、聖書学院入学前にお世話になりました御家庭の長男、諏訪太一君が(ホーリネス上諏訪教会の教会学校に出席)「小池さん。明日沖縄に飛びます。」との挨拶をなされました。私は驚いて何と返事をしたか覚えがありません。

 戦後、ホーリネスの群中央委員として沖縄の教会を問安した折、新川広子先生が「軍艦にあたった飛行機は一つもありませんでした。」と語ってくださいました。私はまぶみの丘から「太一君」と叫びました。家内の弟、幸男君も少年特攻隊員であり、鹿児島から「明日、沖縄に飛ぶ」と待機していましたが、8月15日終戦となり無事であったと聞いております。(家内のおじさんは すでに特攻隊員として戦死されておりました。) (写真 25b)。

<玉音放送:手記>

 1789部隊で中央山脈を越えたのは将校と小池と二人だけでありました。他の方々は列車で台北へ入りました。将校に伴われ、三点礁。(1894年に北白川宮能久親王が上陸なされた中央山脈)を越えて台北の軍司令部を訪問。古清水万太郎先生のご家族に面会。台北郊外の部隊に合流した。

 やがて部隊内に新設された情報部に抜擢され、笠少尉、横川准尉、佐伯伍長、奥村兵長、小池一等兵で組織され、「極秘、機密の整理。ラジオの聴取。」

 8月15日、「ポツダム宣言を受諾するに至れり」と悲痛に満ちたお声を拝聴いたしました。

 終戦の年、8月某日1789部隊情報部に入った通達ですが  ピィリッピに於いて捕虜となった米軍兵士の言葉を他山の石として考慮すべきである。マッカーサー将軍はアメリカに於いても古今の名将であって、今は戦に負けてアメリカに引き上げたが、戦機がととのえたならば再びやってきますと語っています。人材は尊いので玉砕してはならない。テニヤン島の兵士の様に 昼は穴にかくれ 夜分は地の利を得て戦うべし。  との通達に戦前とは大きな変化でありました。

 ポツダム宣言のチラシは米機からまかれ、台湾人より届けられており悲しいものでありました。

 昭和20年9月1日 召集解除。2日帰宅した。


全文を表示する 目次を表示する | 印刷用ページ | 絵葉書を見る

Another History of Ilha Formosa(Taiwan)

東台湾花蓮港絵葉書 | 東台湾臨海道路 | 屏東市内名所絵はがき | 貿易港として名高き高雄名勝集 | その他の絵葉書 | 阿里山の風光 | 大連の盛観





(C)All Rights Reserved.
BAKUCHAN.COM / 恵泉愛児園.COM / 谷口恵
無断転載、引用を禁ず(検索エンジンは除く)。
連絡先 : mail@bakuchan.com
学術用の引用等であってもご一報ください
537−0014 大阪市東成区大今里西1−25−11 谷口 和