日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
前掲書から引用し、当時の様子を描く。
[信徒との交流が断たれ、孤立無援の感であったが、主は慰めの手を延べられた。隣家の大石理蕃課長夫人をはじめ、隣組の各位、花蓮港長老教会高端荘牧師、役員有志、更に未知の方々の来訪。元警視古藤斉助氏の会社をはじめ アルミ会社、20有余の有力会社、事業所の就職勧誘の来訪を受け、7年3ヶ月の伝道生活の証しが立てられたことと主の憐みを感謝した。]
[6月19日 台湾日々新聞花蓮港支局長加藤精一氏の夫人が来訪され、「役所の廊下で理蕃課長の大石さんが、『私は7年間小池さんの話を聞いていたが、悪い話は1度もなかった。あなたは聞いたことがあるのか』とM刑務課長に抗議されたことが裏目となり、“小池を苦しめてやれ”と立腹されたMさんが、各会社を廻り、小池は反国家的思想の持ち主で採用するとあなたの会社に迷惑がかかります、と妨害していますから、市内での就職は困難と思います。」というご主人からの言葉を伝えられた。]
[翌20日M課長に面談を求めて、「ご存知のように私共には貯えがありません。花蓮港で再起したいと思いましたが就職ができませんので台南へ行こうと思います。台南におります友人小林喜美雄氏の紹介により、南日本製塩会社に社長の好意により採用が決定しております」と申し出た。要監視人である私の異動を好まないM課長は花蓮市警察熊谷署長に就職の相談をするように指示、熊谷署長は直ちに、同盟通信花蓮港支局長を訪ねなさいと指示され、高木局長に面接した。
帰宅して間もなく熊谷署長より、花蓮港食糧管理組合を訪ねるように、との連絡を受け、直ちに出向。専務理事梅津三郎氏に面接した。
初対面であったが、梅津専務理事は過年、運輸会社朝日組、古賀朝一郎氏夫人(教会員)の納棺式に列席、更に小野うら姉(教会員)よりの伝聞により、すべてを熟知されており、好意をもって空席の庶務主任として採用された。県内の全食糧の配給業務を行い、理事長高橋四与大六氏(陸軍主計中尉)、専務理事梅津氏(陸軍伍長)、主事田村武雄氏(陸軍軍曹)3氏は、刑事の来訪に際し、常に擁護下されたことを後日伝聞し感謝に溢れた。]
[6月20日、就職も決定し、自分の語った福音の証人としての覚悟も新たに歩みが開始されたが、一週間後、晴天の霹靂、意外な展開に呆然となった。M課長の通達により、強制的に教会建物の明け渡し、指定家屋への転居、監視下におかれ、教会建物は刑務課分室として昭和20年10月まで使用された。このような扱いは花蓮港教会だけであった。]
引用終わり。
(<弾圧の中でも差しのべられた手:回想>)