日本統治下における台湾キリスト教伝道

カイザルのものはカイザルに、神のものは神に

美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
昭和11年11月22日 洗礼記念
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.

<小原十三司先生を迎えて:手記>

 1937年(昭和12年)2月。東京の本部より小原十三司先生が9月に台湾巡回使として東台湾に来られることになったとの連絡を受けた。小原先生は花蓮港教会で写真で一緒に写られたアミ族の首長(カツァー)と同じ50歳でありました。本部より連絡を受けて1ヶ月、連夜の祈祷会が行われ、先生をお待ちしたことでありました。

 当時は飛行機はなく、基陸に上陸した晩、台北教会の信者、郊外の金爪石鉱山の社宅に於いて集会がもたれた。翌日は花蓮港教会 小林喜美雄兄の勤務される台湾総督府専売局花蓮港支局の講堂に於いて1時間の精神講話が行われ、12時発、台東行き終列車に乗車。

 板張りの腰掛けに座って9時間を要し、翌朝台東駅に到着した。バス利用で1時間半の道のりを、当日はタクシーを利用し、台東県新港街の松矢新吉兄の診療所(ご婦人は助産婦)で家庭集会を行った。ご夫妻は地域の人々の信望の厚い方であった。

 松矢兄宅の家庭集会をすませ、引き返して台東駅より玉里駅に下車した。花蓮港駅と台東駅の中間に玉里駅がある。
 この「中間の町」に信者が与えられるように 駅の待合室の腰掛けの下に 蚊取線香をいぶし(マラリヤを防ぐため)、祈祷を続けたことがある。警察官が時折巡回したことでありました。

 小原先生をお迎えしました時は玉里駅長 麓佃氏の御厚意により鉄道倶楽部に於いて、夜10時より集会が開始されました。麓佃氏の奥様は熱心な信者であり、親類の薬剤師の家庭も信仰に熱心な方々でありました。

 小原先生は
 「小池さん。今まで多くの集会で御用をしてきたが、夜中の10時から集会が始まって12時に終わるということは初めてだよ。」
 と言われ、
 「ハイ、よろしくお願いいたします。」
 とお返事いたしました。

 小さな特別集会でありましたが聖霊のお働きによって先生のお話しは祝され、10年近く喘息を患っていた駐在官の奥さん、吉川百枝さんは 先生の按手により、たちまちいやされ、栄光を拝したことでありました。

 窓に目張りをし、紙帳を吊るしてその中で生活するのでなくては、わずかな空気の流れにも耐えられない程の喘息が信仰によっていやされた喜びはご主人をはじめ教会の方々にも同様でありました。
 「聖霊のお働きを見たので、新しい聖歌を作ってほしい」と鈴子先生にお葉書を送られました。「新たなる聖業」は小原鈴子先生の作詞、高野忠博先生の作曲で誕生いたしました。(写真 19
 花蓮港教会の礼拝の講壇から「教勢の貧困は信仰の貧困によるものであった。援助を送らなかったが、よくやった。」とおほめの言葉をいただきました。

 小原先生巡回伝道のこの時、「薄々(ポッポコ)講義所」の柿の木の下のフロ桶に於いて隶朱塗(難読文字 3738)兄が受洗いたしました。


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