日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
教会は本通りから数分奥地の「連雀通り」にあり、三方はコロトンの生垣で囲まれ、その中には檳榔樹(びんろうじゅ)、パパイヤ、バナナが混じり、訪問者の出入口には玉砂利を敷きました。周囲は官庁関係者の宿舎が13軒、台湾人の家が1軒ある静かな環境でありました。
言葉はあるけれども文字を持たない山地の蕃人達に、駐在官はクセのない日本語を教えました。日本政府の施策による日本語の普及により内地人との対話が楽しそうでありました。
着任直後から台湾人や高山からの蕃人の野菜売り、平地におるアミ族の女性の野菜売り等は裏口から入りました。やがて信仰の話を希望する者は裏庭の井戸水ではだしの足の泥を洗い流し、下駄をはいて屋内に入りました。(写真
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顔に入れ墨をしておる者、していない者も脚伴を付け、野菜売りに来訪し、内地人との交わりが楽しそうでありました。
ある時は家内と交代で聖書の話をいたしました。熱心に聞き、青年の中には聖画の紙しばいを借用して帰る者もありました。
(<紙しばいの思い出:回想><夏の花蓮港聖教会:回想>)
中田監督の教えにしたがい、祈祷の生活はつづけました。台東駅からバスで一時間半、太平洋側を奥地に進むと熱帯地の植物が幼いころ生活した北海道礼文島の海岸の植物と同様で驚きました。
通りがかった蕃人が裸で腰に蕃人用の刀をつけておりました。「ぺこん」と頭を下げましたが 私は大きな声で「こんにちは」と挨拶いたしました。この道路の奥に「成興うおう」という部落があり、小さな港に船が引き上げられており、新潟県出身の松矢新吉さんというお医者さんの話によると英国人の宣教師がこの港から上陸して伝道しておられ「オランダ人」が300年前に支配しておったとのこと。蕃人の中に目玉の青い者が今でもおります。