日本統治下における台湾キリスト教伝道

カイザルのものはカイザルに、神のものは神に

美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
昭和11年11月22日 洗礼記念
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.

<教勢の現状:手記>

 しかし、工事も終り、技師御夫妻が台北へ帰られ、出席者は少なく、山里先生も花蓮港から宜蘭へ去られ、集会も淋しくなった由。私の着任後も伝道会の一人。祈祷会も皆無という時もありました。

 上諏訪ホーリネス教会の「組会」をならい、家庭集会があちこちで催されるように導き、外地のことでありますが交わりを深めることに励みました。 小林会計は一ヶ月分の俸給をささげ、水道をひいて下さいました。

 文局長(日本では文部大臣級)の戸塚林平兄の奥さんは婦人会の折、台湾の漬物、料理を若い奥さん方に教え喜ばれたことでありました。

 花蓮港着任は 12月31日でありました。
 1936年(昭和11年)1月26日の役員会で「この教会は献金でつまずいた教会ですから講壇からは絶対に献金の奨励をしないでください。」と会計さんに言われ、「ハイ、分かりました。」と答えました。心の中には少しの不安もなく、祈る事によって主は与え給うと信じておりましたから全く平穏でありました。
 「私から一つお願いがあります。祈祷会の献金は蓄えておき、経済的に困難な教会へ祈りを込めて送りたいと思いますからお許し下さい。これは私の信仰ですから」と了解を頂きました。

 中田監督は「兄弟達よ、地方へ遣わされた時、祈ることを忘れてはならない」と教えて下さいました。その教えを花蓮港教会の役員会終了後から始めました。

 転勤の多い植民地のこと。重要な役員は次々と異動していきました。塚本兄は私の着任後3月の異動で隣の鳳林郡の郡長として栄転されました。しかし、献金額は増加していきました。「そんなに捧げなくてよい」と皆の献金をおさえておった方が転勤した結果、「自由に献金することができるようになった」とみんなが申されておりました。

 昭和16年。赴任して7年目。山里先生が県庁より借用しました教会の敷地142坪2合5尺を4000円で払い下げを受けましたが、信者の方々に無理に献金を求めることなく実践できました事は誠に感謝のことでありました。

 聖教会全体200余の中で9位の献金額、教勢35位となり主の御名を崇めました。
 花蓮港教会に出席されている日本人の方々は台湾総督府の林務課長、専売局会計課長、総務部長(栄転された時)、警察官、台湾日々新聞花蓮港支局長、医師、教師、駅長、助役 等々 さまざまな方々でありました。


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