日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
台湾伝道は・1925年、東洋宣教会ホーリネス教会の中田重治監督によって台北巡回伝道をされたことに始まった。
水蓮眉蕃社には北村芳枝先生が任命され、花蓮港教会に大津先生。途中で事情があり退職されましたが先生の路傍伝道により県庁林務課長 塚本松喜・信子御夫妻が最初の入信者。荒原諸兄磨先生は二代目。山里忠男先生が三代目。山里先生は県庁より142坪2合5尺を借用する。渡嘉敷先生が四代目。私が五代目であります。
台東県、花蓮県では私がただ一人の日本人牧師でありました。「南埔講義所」(教会という名称は許可されませんでした。)は実質的にはポタル先生がアミ族の人々に伝道されておりました。しかし官庁の扱いは内地人小池牧師が責任者となっておりました。
In Taito Prefecture「台東県」 and in Karen Prefecture「花蓮県」,I was the only one Japanese pastor.
I was a pastor of "Karenko SeiKyokai Holiness Churuch "「花蓮港教会」and "Nampo Kogisho Lecture Center"「南埔講義所」officially.
But Mr Potal (the Ami people) was pastor of「南埔講義所」and he did evangelical mission for Ami people.
「南埔講義所」could not name "Nampo Kyokai church".
山里先生は台北市役所の社会課の責任者として是非来て欲しいとの要望により、移られたことでありました。本部から牧師の資格を返上するようにとの通達がありましたが、「牧師の資格があることは職場において相違があります故、お許し願いたい」と懇請いたしました。弾圧のありました時、山里先生の取り計らいにより、古清水万太郎先生の教会では保育園を催すことが許可されたことでありました。(写真 大沢先生と山里先生 10)
注釈: 昭和二年4月に開かれた東洋宣教会ホーリネス教会第九年会記録に、棟氏の挨拶が収録されている。 その挨拶では「二年前貴教会中田監督我台湾に巡回して大いに伝道せられ」となっている。 第八年会記録が手元にないため詳細は不明。大正十五年教勢報告に、台北、花蓮港、 二つの教会が記録されている。第七年会記録には台湾の記載はない。 東洋宣教会ホーリネス教会第九年会記録を掲載する ( 第九年会記録の表紙 、 棟氏の挨拶 、 大正十五年教勢報告 ) 。 本来これらの資料は弾圧を受けた時に押収され残るはずはなかったが、 偶然にもゴミ箱に捨てられていたのを発見し、今日に至っている。