日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
12月26日、気候の事、教会の事情等々一切知らされておらず、親子3人未熟な伝道者の旅立ち。船に弱い私はその晩から船室で、ボーイさんから借りたお風呂の樋のような小形な吐き樋と仲良し。
27日朝。 門司港で荷物の積み入れ。
28日朝。 船上にて。
吐いている最中、水上警察より甲板の部屋に呼び出し。手に持っているハンカチを眺め、
「それは何だ」
「今吐いておりましたのでハンカチを持って来ました。また洗って用います。」
「どこへ行くか。(昨晩と同じ質問)」
「花蓮港へ参ります。」
「何に行くのか。(昨晩と同じ)」
「キリスト教の伝道に参ります。」
「帰ってよろしい。」
お部屋に帰りました。
この質問は私にとりまして講壇からの言葉(説教)に注意することを決意させました。赴任してからも台北から台中方面の旅行(中央鉄道)に尾行がつくようになりました。
12月29日の朝、基隆港に上陸しました。
待合室には台湾部長大沢豊助先生が待っておって下さいました。初対面のあいさつを交わしました。先生は台北の教会へ案内せず、戦後は蒋芥石総統の居住地となりました草山の温泉街の旅館に案内下さり、一泊させて下さいました。長旅の疲れをとるための温かいお心づかいに感謝にあふれました。
夕食後「小池さん。小原さん(本部の財務部長、淀橋教会牧師)から何か聞きましたか。」
「いいえ、何もお聞きいたしません。」
「実は花蓮港教会は財政困難な教会で、役員会より『40円の援助がなければ後任はいらない』と断りの手紙が送られ、小原さんからは『援助がなくてもやっていかれる者を送る』と返事が来ており、あなたは選ばれたのだからしっかりやりなさい。」と励まして下さいました。
12月31日。朝、台北で見送られ汽車で3時間、蘇澳駅で下車。
バスの待ち合わせは1時間。バスに乗車の時に紙袋を渡された。しばらく行くとガイドさんが「向こう側にみえる小さな池は蕃人が首を洗った池で、『首洗いの池』といわれています。」と聞かされました。
左は断崖。台風の時は100m上の道路まで太平洋の海水が届くとのこと(絵ハガキ)。大理石の断崖をえぐり抜き、太平洋側に窓を設けました。現在でも世界の名所云われておるそうですが、バスに乗った人々は乗車の時に渡された紙袋に吐いた物を入れるという困難な道路でありました。
右側の山手は蕃人の焼畑の跡が残り、「えらい所へ来たものだなあ」と思う内に5時間のバス乗車も夕闇の迫る花蓮港駅前の東海バス停に下車しました(絵ハガキ)。
合計九時間の長旅は「台北部長宅を訪れ、祈り会をし、日帰りする」ことのできない遠距離でありました。
出迎えて下された諸兄姉のお姿も見分けのつかない夕闇。九時間の長旅でありました。教会会計の小林喜美雄さん(台湾総督府専売局花蓮港支局長)、に教会に案内されました。すぐに「東京庵」より年越しのそばを届けて下さいました。
日本人が開拓したといわれる花蓮港街は日本人が4000人居住しており、台湾全島でもこの数の日本人が居住しておるのは花蓮港だけであった。建築も瓦葺(日本人住宅)が多く、旅行者は「日本へ来たような気持ちだ」などと言っておりましたが、教会はトタン葺でありました。
総督府の人々は「港のない花蓮港。陸の島流し」と言って花蓮港への転任を嫌がっておったとのこと。内地からお嫁さんを迎えても港が無く、本船からサンパ舟に乗り移る時、お嫁さんの足がすくみ、海に落ち溺れて亡くなられたことがあったなどお聞きしました。
私が着任して10年目に陸地を掘削して築港が完成されました。(これはイタリアに次いで世界で二つ目といわれております。)戦後、ここから引き揚げてきました。
In 26-December , I was not told about Karenko's atmosphere and details of Karenko Kyokai.
I and my wife and my daughter got on "Taiyomaru" with my friend pee-bag.
In 27-December , This ship arrived at Monjikou port.
In 28-December Morning, I was asked questions by police.
"What is it?" He said with looking at my handkerchief.
"This is my handkarchief wiht my pee." I answerd.
"Where are you going to?" he asked.(This question was asked yesterday.)
"I go to Karenko." I answered.
"What is your purpose?" he aseked.
"For Evangelical mission." I answered.
"Go your room." he said.
This affair made me decide to take care of my words.
And We were tailed.
In 29-December morning we arrived at Kirunkou port.
On this port Mr.Oosawa Toyosuke pastor was waiting of my arrived.
And he invited us to Hotel of Kusatsu.
After dinner,he told me.
"Mr.Koike Mr.Koike Did you hear someting about Karenko from Mr Obara(pastor of Yodobasi Kyokai church and the tresury of Seikyokai Holiness Church)."
"No. I heard noting." I answered.
"Karenko kyokai church is very poor, and mebers of this church posted a mail to office and refuse any pastor without 40YEN financial aid.
So Mr Obara answer to Karenko church. We send a pastor without financial aid.
You are trusted. Do your best." he said.
In 31-December Morning ,we got on trains from Taipei and got off at Suo Station.It took 3 hours.
After one hour waiting ,we got on a bus.
CA told us that lake was told Taiwanese aborigine washed heads of human they killed.
Traffic was very bad.We were not able to sit down without pee-bag.
Marine side of this marine road is a precipice.
The other side of this road is falmland of Taiwanese aborigine.
5 hours riding brought us Karenko.
It took 9 hours to travel from Taipei to Karenko.
Mr. Kobayashi Kimio the tresury of Karenko Seikyokai
Holiness Church waited us.