日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
8月 岡山教会の夏期伝道に派遣される。
自炊しながら毎日家庭訪問、夜分は路傍伝道。旭川の夕凪と云われるむし暑さ。タンバリンを叩いての路傍伝道は物珍しげの会衆であった。「僕も信じたい」と前に進み出た青年であったが、あまりの嬉しさに住所の記述を忘れ残念な事であった。洗濯屋さんの○兄と四十年後、甲府のギデオンの総会に招かれた席上で、全国の会長としてお逢いしたことは大きな喜びでありました。
9月10日 帰京。車田委員長宅に報告に参上する。
車田委員長は報告を聞き終わりますと「中央委員会は兄弟を水戸の在、瓜連教会へ任命しました。明日の礼拝に遅れぬよう新大久保駅から荷物を出し出発しなさい。」との辞令でありました。(単身赴任)(写真 瓜連教会5)
9月11日着任。
瓜連教会は水戸より福島県郡山に通ずる水郡線水戸から五里位でありました。
夜分になりますと一軒おいて隣の飲食店から「落ちぶれて袖に涙がかかると時、人の心の奥ぞ知らるる」と云う当時流行の歌が聞こえてきました。説教の準備に妨げになります故、暗い小道を歩きながら準備をいたしました。
家庭持ちを配慮下されたことでしょう。思いがけない援助金5円と出版部より未納の請求書が同封され、15円の負債のあることを知りました。
「教会が未納金があることは証しにならない」
と単純の思いから、前任者の御夫人に相談せず、出版部に送金、完済できましたことは感謝でありました。
このささやかな思いやりが小原先生のお心の中印刻され花蓮港教会の財政困難な教会に抜擢されたのではないでしょうか。この事は2、3年前に気づいたことであります。
10月―――1か月が経過しました時、本部より
「用事がある故、青山の青年会館に出頭するように」
との通知があり、当日定刻出頭いたしますと、すでに先輩数名が待機しておられ、次々室内に呼び込まれ、最後の一人となりました。
柏木寮の寮長であり中央委員の一人である一宮政吉先生がおられ、席につきますと
「小池さん。花蓮港の教会へ行かれますか」
とお尋ねになりました。
「私共は自分で任地を選ぶ資格はありません。
行けと仰せになれば行きます。」とお返事をいたしますと
「もし行くようになったならば古賀さんと云う家庭を訪問して祈ってあげなさい」と言葉が添えられました。
12月13日 「花蓮港教会に転任を命ず。上京の時には淀橋教会の事務所により旅費を受け取り、12月26日神戸港出港の大洋丸に乗船しなさい。」と一枚のハガキの辞令でありました。 (<本家への挨拶:回想>)