日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
私は1924年(17歳)、7月6日の晩、上諏訪ホーリネス教会の伝道会に「一度キリスト教のお話しを聞いてみたい」と思い、出席いたしました。高橋俊三先生は聖書の上に手を置かれ確信に溢れたお声で「この聖書のお話を信じるか、信じないかその結果を見ることができるでしょう。」と語られました。
心の中で「50年、60年は長いなぁ」と自問自答しながら「信じてみよう」と思った者が求道者に替えられて帰宅いたしました。
伝道会で青年の男女、老人の方々の入信当時の悔い改めのお話しをお聞きしたことは幸いでありました。(写真 1、2)
1925年(大正14年) 2月22日 車田秋次先生が講師として迎えられた集会で「恵みの座」に進み出て悔い改め 4月20日 郊外の六斗川に於て高橋俊三先生より洗礼を受ける。
1926年(昭和2年) 5月24日 御牧硯太郎先生を講師としての特別集会の「恵みの座」において「ヨハネ21章15〜17節の御言葉を通して」召命を受ける。
1932年3月 高橋俊三先生の推薦状をいただき柏木聖書学院に入学する。(上諏訪ホーリネス教会の、戦前最後の献身者となった。)
―リバイバルの末期でありましたが大講堂(カウマンホール)における祈祷。当時2000人収容の木造建築は警視庁下では一つと云われておりました。―
火曜日の晩は、「きよめ」の勉強。先輩が交代して自分の経験を引用して教導下さいました。この学びも最高でありました。
私はこの勉強の時、先輩の指導によって明確に確信を得たことは生涯の宝でありました。―
1932年5月 「きよめの恵」を受ける。
―更に中田監督が授業の時、「兄弟達よやがて地方へ任命されるが祈ることを怠ってはならない。メソジスト教会の赤沢監督は夜分講壇の陰に座り祈祷を続けていく時に、『三尺前に主の臨在を感じた。』と語られたことがありました。兄弟達よ、祈る事を怠ってはならない、祈りなさい」と教えてくださいました。
注釈:当時リバイバルの霊火は燃え続き、消灯後のカウマンホールは静寂の中にも祈祷の呻き声に満ちていた。ホーム(寮)の烈しく燃える祈祷の時間に指導者によってリバイバルの中、本や衣類を「ワラ屑」として焼くことを余儀なくされた。
【「小池君、そのオーバーも焼いてしまえ」と言われ、「これはもったいないから焼かないよ」と実家へ送り返したことでありました。】
この作為的行為を「リバイバルが起った」と報告されていくことに恐れを感じたと手記に書いている。
12月24日 病気のため休学。実家に帰る。 (写真 4)