日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
父の赴任した昭和10年、東台湾花蓮港は陸の孤島といわれ、
交通の便も悪い状態であった。
日本人牧師が定住して伝道するには経済的に困難であり、
花蓮港聖教会も「本部より経済的援助がなければ牧師は要らない」
と申し出ていた。2から3年で他へ転任するか、
本部に無断で内地に帰ってしまう状況で、
10年もの間、花蓮港聖教会で伝道した牧師は父のみであった。
それ故、父の手記と写真は、
当時の現地を知る上で貴重な資料の一つではないかと思われる。
花蓮港聖教会では、台湾人、日本人、蕃人の方々が、
「日本語」という共通の言語を使って、平和な教会生活を営むことができた。
昭和10年代の記念写真に写っている人々の表情が、その平和を物語っている。
父が弾圧を受け、教会が解散させたれた折には日本人の方々が助けてくださった。
空襲が激しくなった折には、台湾人の方が疎開先として借家を用意してくださった。
軍隊においては「小池、小池、班長が殴ると言っているから気を付けろ」と蕃人の方が親切に声をかけてくださった。
当時台湾は日本の植民地であったが、人間同士の温かい交流がなされていたことを手記は伝えている。
日本人の誇りを持ちつつ、世界の中で世界の人々と共に
温かい交流がなされ続けていく未来であることを願っている。
Another history of Ilha "Formosa"(Taiwan).
My father pastor"Koike Shozo" has been Taiwan(1935-1946) as a president of
Karenko-seikyoukai church(花蓮港聖教会).
This church was very poor then many pastors can stay few years.
But my father stayed over 10 years.
Taiwan was under-control of Dainipponteikoku(大日本帝国).
but Taiwanese , Taiwanese aborigine and Japanese lived together with peace and
could communicate in Japanese.