日本統治下における台湾キリスト教伝道
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
美しい島フオルモサ(台湾)のもうひとつの歴史
手記 - 恵さんへ大変貴重な資料です 父より - から
Another History of Ilha Formosa.
江戸時代末期、横浜開港により、日本は新しい時代を迎えた。鎖国もキリスト教の禁止令も解かれた時、福音の芽は再び萌え出て育まれ、外国から宣教されるだけでなく、邦人が宣教師として海外へ派遣されて行くまでに成長した。
手元にある東洋宣教会ホーリネス教会第一年会記録によると、大正七年(1918年)監督直轄地として(光州、撫順、奉天)の三つが記載されているのみであるが、大正十四年に開かれた東洋宣教会ホーリネス教会第七年会記録には巡回地として「朝満部」「支那上海」「南米ブラジル」「米国加州部」11箇所が記録されている。日本プロテスタント宣教150年のこの年、この日本のキリスト教海外宣教をも忘れてはならないと思う。
ここでは、日本のキリスト教海外宣教の歴史について、父、小池章三が派遣された花蓮港聖教会の歴史を描きたいと思う。台湾花蓮港聖教会の牧師として1935年(昭和10年)〜1946年(昭和21年)まで約10年間、海外での宣教を行ったのである。台湾花蓮港聖教会は日本人、台湾人、蕃人とさまざまな人々が出席していた。当時の写真を見ると、信仰による平和を見ることができる。父にとって「台湾(フォルモサ)伝道の時代」「花蓮港聖教会の思い出」は生涯の宝であった。
2000年8月、谷口和男牧師は基督教台湾聖教会東部教区退修会の講師として招かれた。その折に1931年〜1981年までの「創立50周年紀念」誌をいただいた。その中には父の友人や恩師計5名の写真も載っていた、が父の写真はなかった。東台湾は台風による洪水がひんぱんに起こる風土上の問題もあり、戦前の記録がほとんど残っていないとお聞きしている。まさにその「創立記念50周年紀念」誌も戦前を示す資料は本当にわずかなものであった。
「記録」が残されなければ、時代の波に押し流されて、何もなかったように消えてしまう現実を見た。
戦後64年を経、当時活躍された方々の多くは召された。私はプロテスタント宣教150周年によせて、父の残した手記と写真、また母の記憶を資料として花蓮港聖教会の歴史を書き記すことにした。
花蓮港聖教会は昭和18年、治安維持法に基づく弾圧を受けた。教会は宗教結社禁止令により解散させられ宗教活動は停止に追い込まれたが、昭和21年県庁の依頼により「日僑管理委員会事務所」となった。その故に、本来ならば日本に持ち帰ることが許されなかった写真などを持ち帰ることが許された。これらを資料として用いたい。
主と共に生き、また宣教師として海外へ派遣されたた諸先輩と、内地・外地に於いて殉教の死を遂げられた方々に敬愛の念をこめて、また弾圧の中でも私の両親に温かいを手を差し伸べて下さった全ての方々に感謝を込めて、日本統治下の台湾の歴史を、花蓮港聖教会の歴史という視点から、とある宣教師の思い出ばなしの形をとって描きたいと思う。
尚、現在では「不適切な表現」とされるものが多々あるが、74年前の当時を知るために、父の手記に残された表現をそのまま用いることをお許しいただきたい。また、手記の中には固有名詞の表記間違いや、表記ゆれもあるが、あわせてお許しいただきたい。
―2009年 97歳の母と共にイースターを祝って。― 谷口恵
After the end of Edo-jidai Era , many evangelists came Japan.
This made many christians in Japan and made japanese evangelists.
Some of them were sent to Korea , China , Taiwan , Brazil ,US and Canada as evangelist.
Also my father Koike Shozo were sent to Taiwan Karenko-seikyokai Chruch
as evangelist .
This church was oppressed by Shukyokesshakinsirei-Reguration(宗教結社禁止令)
based on Chianijiho-Law(治安維持法).
After the World War 2 ,this church was sellected office to return Japanese to Japan(日僑管理委員会事務所).
This allowed my father to bring pictures of Taiwan in Japan.
My father dead in october-2000.
Now I wirte this article based on my fathers note "Dear Megumi. This is very Important thing".
in Easter 2009, with my mother. Taniguchi Megumi.